またフードコートの一角には、このようにSUBARU OFFICIAL WEBSITEが主催するアクティブライフスクエアをPRするエリアもありました。

 ご存じコールマンを始めとするアウトドア関連グッズの展示や、メーカーが提案するスバルライフが展示されていました。

 確かこの奥のBBQコーナーにもボランティアスタッフの方が配置されでたよなー。

 お肉でも焼いていらっしゃるのかしら♪


 後編へとつづく
 まだまだフードコートのお店の前では、行列が出来るほどの賑わいです。
 車両の展示などはほとんどDラー状態ですが、もちろん商談などは一切ありませんし、営業担当もいません。(当たり前か)

 純粋にメーカーの開発担当者や技術者のみなさんと、オーナーのみなさんがクルマについて様々な意見交換をするための場となっていました。

 すべてのラインナップについてこういう場が提供できるのは、スバル研究実験センターならではの趣向ですね。
 丁度そこから反対側を振り返ると、こうしてフードコートがあります。

 よく見ると昼食タイムもピークを迎えて、フードコートの食事用テントの下はほぼ満席状態です。
 それに先立って、富士重工業株式会社 吉永 泰之 社長のごあいさつです。

 やっとお会い出来ました♪


 ところが、挨拶の前に傍らにいらっしゃったスバルネクストストーリー推進室 室長の 小島 敦 氏が吉永社長と我々を紹介する際に、「こちらのみなさんが#スバコミボランティアスタッフのみなさんです」と仰って吉永社長にマイクを手渡したのですが、吉永社長は、「ん?何?スバコミ??」と確かに聞こえました。

 なんだ知らんのかーい!?

 てなわけで、社長はSUBARU唯一の公認SNSサイトの存在をあまりご存じでは無いご様子でした。(涙) 
 そして元祖SUBARU 555 です。

 実際インプで555が有名になりましたが、そう、「555」カラーはLEGACY RS グループAが最初なんです。

 1993年からLEGACYはこの555カラーになりました。

 この車両は、SWRTが組織されて実に通算23戦目、シリーズ戦ニュージーランドラリーでついに悲願の初優勝を果たしたマシンです。

 WRC参戦4年目のこの年、レガシィの後継となる新型車インプレッサのWRC投入が予定されていたSUBARU

 その前にレガシィを初優勝させたいという関係者、特にSTI社長の故久世隆一郎氏の願いは切実でしたが、第2戦スウェディッシュでマクレーが3位と好スタートを切ったものの後が続かず、望みは第8戦ニュージーランドへと託されました。

 既に新型のIMPREZA 555の次戦フィンランドラリーデビューは決定事項であり、ここがLEGACY RSにとっては文字通り背水の陣でした。

 そしてこの記念すべき1勝は、コリン・マクレーにとっても自身のWRC初優勝となりました。

 私の二代目スバルとなったLEGACY RS type RA を購入してから2年目の朗報でした♪

 そして次戦のフィンランドラリーで投入された新型車IMPREZAは、いきなり位のポディウムを獲得し、その後の活躍につながっていきました。

 こうしてかつての歴代名車たちを見ると、そこには紛れもないSUBARUのモータースポーツチャレンジの歴史を垣間見ることが出来ます。

 そして、この積み上げてきた歴史を、いつまでも色褪せることなくスバルファンの記憶に留めていくためにも、今後さらにスバルらしいクルマづくりと、新たなチャレンジをしていただきたいと思っているのは、私だけではないと思います。 
 そしてこのIMPREZA 555 1995は、SWRCの長い歴史の中でも最も輝かしい戦歴を持つ車両です。

 ご存じの通りこの年に、SWRTはこのグループA IMPREZA 555でマュファクチャラーズ・ドライバーズの両チャンピオンタイトルを獲得しました。

 文字通りの快挙であり、スバルファンは驚喜しました。

 この何の変哲も無い小型4ドアセダンが、存分に世界一の走りを披露してくれました。

 私もこの時の興奮は、今でも忘れることはありません。

 史上最年少で世界のラリードライバーの頂点に立ったコリン・マクレーは、この時の功績を称えられて英国女王陛下からサーの称号まで賜り国民的な英雄となりました。

 そして翌年、WRCにチェンジした1997年と3年連続でマニュファクチャラーズポイントのトップを譲らず、ついに3連覇の偉業を達成するのです。
 1997年から採用された新レギュレーションのWRC(ワールド・ラリー・カー)は、文字通りWRC(世界ラリー選手権)のトップカテゴリーとして華々しくスタートしましたが、それまでグループAで戦ってきたSUBARU/Prodriveは、当時カタログモデルとしては本当に影の薄かったリトナ(インプレッサの2ドアセダン)をベースにして、このIMPREZA WRC を製作して参戦する道を選びました。

 そして、1997年幕開けのモンテでのデビューウィンは、本当に鮮烈な印象を残しました。

 ドライバーは、私が好きなターマックスペシャリストのピエロ・リアッティでした♪

 因みにライバルの木全 巌 監督が率いる三菱チームのランサー・エボリューションは、1997年以降もWRCとの混走を許されたをグループA仕様のままで参戦するという道を選びました。

 これもまた敵ながらアッパレ!な選択だったと思います。
 ということで、私の愛車と同じ鷹目インプですが、このモデルは以上の理由で好きではありません。

 ところが知ってか知らずかこの特徴的なエンジンフードの為に、鷹目レプリカされている方々は好んでこれをモデルにしたがる傾向があります。

 鷹目2006モデルレプ車オーナーのみなさん、ゴメンナサイ!!

 ついでに云えば、2007年の4戦目から投入されて、GRB WRCが投入されるまでのわずか3戦しか使用されなかった鷹目2007年モデルこそが私の好きな鷹目WRCです。

 確かにタイヤがピレリからGFグッドリッジにスイッチして苦戦しましたが、あのまま戦い続ければまだ勝機は充分にあった筈だと、あまりにも早い引退が今でも残念でなりません。

 まあ勝負にたらればは禁物ですが…。(笑)
 時代はさかのぼって、2006年モデルのGDB WRCです。

 敢えて云うならGDB WRCの中でも、曰わく付きのマシーンですね。


 Prodrive(ディビッドリチャーズ)が元F1デザイナーを起用して製作した、所謂V型レイアウトのラジエターとインタークーラーの配置によって、フロントのサスペンションバランスが崩れてしまい、セットアップに最後まで苦慮した車両です。

 結果、初めてシーズン0勝という不名誉な記録に甘んじてしまいました。

 結局デザイナーはシーズン途中でクビ、最後は一時的にProdriveを去っていた車両開発トップのデビッド・ラップワースが復帰するというなんともお粗末な内情でした。

 今となってはあまり語られることもない逸話ですね。
 カラーリングもGRBになってから刷新されましたが、どう見てもメーカーのデモカーといった面持ちで、ひところと比べるとWRブルーはそのままでもなんとなく寂しくなったのは否めません

 そして、2008年シーズン終了とともに19年の長きにわたったWRCトップカテゴリーへのチャレンジにピリオドが打たれてしまいました。


 ラリー好きの私としては、いずれはなんとしてでもWRCのフィールドにカムバックしてもらいたいと思っています。
 この車両は良くも悪くも良く覚えています。

 ニュル24hチャレンジの3連覇に向けて頑張ったクルマですが、残念ながらReader MotorsportsのアウディTTRSに完敗でした。

 つまりSP3Tクラス三連覇を取り逃したクルマです。

 辰己監督もさぞ悔しかったろうと思います。

 私も本当に悔しかった!(涙)


 それはさておいて、このGVBという車両、実は5ドアのGRBが発売された後に作られたクルマなんですね。

 私はGDB-Gに乗っていますが、LEGACY S402を諦めて何故IMPREZAを購入したかと云えば、当時はもうIMPREZAにセダンは無くなると、まことしやかに云われていたからです。

 そして発表されたのがGRBでしたが、何のことはないしばらくするとGVBが追加されました。

 ですから、このGVBという車両のベースはGRBなんですね。(ここ肝心)

 つまり5ドアベースでセダンを作ったものですから、Cピラーにかけてのルーフラインが不自然なんです。

 尚、試乗車や代車などで比較的このクルマには多く試乗もしましたので、かなりしっかりとインプレッション出来るのですが、ドライビングフィールは明らかにそれまでのGDBのようなシャープさに欠け、全体的に大味な印象しかありませんでした。

 オーナーの方々には大変失礼な言い方になってしまいますが、ハッキリ云ってややポテッとしたボディデザインも含めて、このシリーズはあまり好きではありません。

 もちろんGDBに比べて優れた点も存在することは知っていますが、敢えて書かせていただきました。
 しかし当時この記録は、後日特集番組などで民放でも紹介されていましたが、タイムリーに快挙を新聞等で大きく報じられることはありませんでした。

 ですから、日本国民の大多数の人々はほとんど知りませんでした。

 発売直後に飛ぶように売れていたのは、LEGACY ツーリングワゴンの方で、RSの販売台数はそれほどでもありませんでした。


 私は当時はまだ購入後4年のLEONE RX turboに乗っていました。

 それから2年後に後期LEGACY RS type RA (ブラックマイカ)を購入しました♪

 本当に素晴らしいクルマで、その後15年間乗りました。
 どなたか知り合にお会いするかもしれないと、スポーツカー歴代展示の方へ足を運びましたら、丁度マリオ高野 氏にお会いしました。

 こちらはほぼ2年ぶりかな。


 本日はお仕事お疲れ様です!
 STIのみなさんがお話している中に、森 宏 部長(元 IMPREZA WRX PGM)をハケーンしましたので、ご挨拶を兼ねてテストコースのことなどいろいろお伺いしました。

 既に紹介しましたが、テストコースのバンク最上部は設計速度240qで、バンク通過時はそうとうステアリングをねじ伏せないとダメだそうです。

 手放しでは?

 当然ムリです♪

 お会いするのもなんと東京オートサロン2012以来で実にお久しぶりでした。
 まだ一般の入場者の姿はないので、あたりはほとんど関係者の方々ばかりで、Shopブースにも人影はありません。
 #スバコミブース(CokaColaの裏)に到着しました。

 早速ここで受付を済ませました。

 そして、ウインナーとお新香の付いたパック入りのおにぎりつと、#スバコミスタッフベストをいただきました♪

 motoprinさんご夫妻と合流して、頂いた朝食をご一緒にゆっくりと思いましたが、どこにも腰を下ろす場所がありませんでした。

 仕方が無いので、立ったまま食事を済ませました。(泣)


 またAM8:00に#スバコミに再び集合してください、と受付で聞いていましたので、そのままスグに引き返しました。
 目当てのクルマがハッキリと確認出来ました。

 それはもちろん初代LEGACY RS(2号車) 10q世界速度記録達成車のことです。


 このたびfacebook小関 氏の投稿で、ここに展示されることを知り、楽しみにしてきました。

 なんでも、テストコースを走るらしい!
 ふとテストコース側に目をやると、slow-handさんら浜名湖オフ会組のメンバーが見えました。


 slow-handさんとキトさんには、入口で待機している時既にお会いしていました。
 まだまだメインエリアまでは遠い!!
 取りあえずメインエリアへ向かって歩いています。


 振り返ると、一般参加者のクルマの駐車も少し始まっていました。
 それにしても私達ボランティアスタッフ班の駐車エリアから、メインエリアまでなんと遠いことか。

 優に500メートルはあるでしょうか。


 兎に角早々に#スバコミブースに行かねばと思い、またたぶんイベントが終了するまでもうここには戻らないだろうと考え、デジイチと必要な荷物を全て持参して、#スバコミブースのあるSUBARUブースエリアに向かいました。
 どうやらここがボランティアスタッフの駐車エリアのようです。

 車両証の「」というのは、駐車エリアの区分です。



 それにしても後から空撮映像で判ったのですが、実はこのエリアは本当に悲しくなるほど端っこなんです。(笑)
 そしてコースを出ると、係員の誘導に従って所定の位置に順番に駐車しました。
 コーナーの出口です。


 それにしてもなんというコースの巨大さでしょうか。
 こうして一番下を走ると、せり上がったバンクがスゴイ迫力で迫ってきます。


 後で森 部長にお聞きしましたら、最上部の設計速度は時速240qだそうです。


 私のRA-Rには当にピッタリのロケーションです♪
 手前に見えてきましたのが、よくスバルの車両が疾走しているCMに出てくる有名な高速コーナーのバンクです。
 コースの内側のガードレール越しにちらっと見たのが、悪路登坂見学スポットでしょうか。
 上がテストコースらしい陸橋をくぐって、内側からテストコースに進入していきました。
 建物の3階の窓にも人影が見えます。


 滅多に無い珍しい光景なのでしょうね。
 右に管理棟が見えてきました。

 駐車場には関係業者さん用の受付でしょうか、テーブルが出してありました。
 先導車に従って、場内の連絡道をゆっくりした速度で進んでいきます。
 添付ファイルにはもうひとつ、左のような注意事項が入っていました。

 これはとても重要らしかったので、特に赤書きの内容に従って、指示通りに葛生方面からSKCの正面入口へ向かいました。

 注意事項の赤書きにはこうありました。

 ■3月27日の#スバコミスタッフの入場に関して
 「AM 5:30〜AM 6:00 までの時間帯は、葛生方面からお越しください。(一般来場者で田沼方面は渋滞)
 その時間帯のみ車両証があれば右折入場が可能となります。(それ以降は右折入場が禁止となります)


 その他にはこう記してありました。

 車両証は、1台につき1枚フロントガラスの内側の見える位置に必ず掲示してください。


 ところがAM 5:30 に現地に到着しましたら、入口の警備員さんに制止されて、「この車両証は一般扱いですので、反対車線の車列に並んでください」と告げられて、仕方なく入口を通り越してUターンし、車列に並びました。

 私の前には既に3台列んでいました。

 先頭の方とお話しをしましたが、先頭の方もボランティアスタッフで、ここで指示があるまで待機してくださいと云われたそうです。

 私達ボランティアスタッフは、事前に知らされていた予定ではAM 7:20までに管理棟に集合して、業務内容を与えられることになっていました。

 しかも遅刻は厳禁だと…

 その後、私の後にもどんどん車列が伸びていきました。

 その間にも、葛生方面(反対車線)から続々と到着するクルマがある中で、入口に右折入場していくクルマと、私達同様田沼方面からの車列に並ばされるおクルマに分けられていきました。

 どうしても納得できないので、何度か警備員の方に問い合わせていただきましたが、携帯無線機で問い合わせはするものの、これでいいの一点張りでした。

 そのまま30分、1時間とただむなしく待ち時間が過ぎていきました。

 それにしても腑に落ちないのは、入場する直前までこの入口には、#スバコミスタッフの方やSKCの関係者の方が一人も現れることがなかったことです。

 そのため、わざわざ事前にいただいていた指示書の注意事項に従ってこうしてやって来たのに、何故内容と違って中に入れないのか全く状況が解らないと、私も含めてボランティアスタッフとして参加したみなさんは、口々に不満を漏らしておりました。

 たぶん中では準備に忙しく、いろいろ対応に追われてそこまで構っていられないんだ、などと勝手な憶測も出ていました。

 まあこうなったら指示があるまで待機するしかないと、半ば開き直っておりますと、カメラを持った3人組が入口の方からこちらに向かって歩いてきました。

 何かの取材ですかと質問すると、「NHKです」とお答えが返ってきましたので、どんな番組かと質問すると、海外向けの番組で国内では放送されないとのことでした。

 何だー!我々は観られないのかー!

 どうせ編集でカットされてしまうんだろうななどと考えながらも、一応インタビューということでしたので、2、3の質問にお答えしました。

 内容はスバルの良さとは何ですか?のような質問だったと思います。

 丁度良い暇つぶしにはなりました♪

 また、この先頭車両の方は、ご近所にお住まいだそうで、10年前だかにもこういう催しがあって、その時にも参加されたそうです。

 前回の時はマスコミだか記者だかが、SKC内部に潜り込んで機密に触れるような画像を撮影し外部に流出させて、大きな問題になったそうです。

 そんなこともあってか、入口のチェックが随分厳しくなっているとかいないとか…そんなお話をされてました。

 そうこうしている間にも、田沼方面からの渋滞の列はどんどん伸びているんだろうなー、などと考えながらも、いつ移動の指示があるかも分かりませんので、どこまで列んでいるのかは確かめようもありませんでした。

 そしてこの場所で延々待つこと時間30分が経って、やっと中に入れて頂きました♪

 こんなことなら、わざわざこんなに朝早くから来なくても良かったんだよー。
 これは当日SKCに入場する際に、車両のダッシュボード上に掲げるための車両通行証の原版です。

 #スバコミ事務局からメールに添付(pdfファイル)されて送られてきたものです。

 という数字が意味深です。

 ボランティアスタッフと入っています。

 確か申し込みのメールには、車種とカーナンバーも記載した筈でしたが…
 また本日のスバルファンミーティングに参加すると思しき車両が、当ホテルの駐車場にも多数見受けられましたが、こんな早朝に起きていたのは私だけのようでした。

 たぶんほとんどの皆さんは、ボランティア・スタッフではなく、一般参加だったのでしょう。


 それにしても、こうしてホテルの入口に一番近い場所に駐車出来たことは、私にとってとても喜ばしいことです。

 何故なら、昨今物騒な輩による車両盗難が後を絶たないからです。

 というわけで、一昨年筑波サーキットで開催されたハイパーミーティングに参加するため、水海道のホテルに一泊しましたときには、車両盗難防止グッズを準備・持参しまして、実際にそれを使用しました。

 もちろん今回もグッズはちゃんと持参しました。

 しかしここは外灯も夜通し点いていますし、いくらなんでもこのロケーションで盗難はないだろうと考えまして、今回は使用を見送りました。

 まあ油断は禁物でしょうけど…。


 そんなわけで盗難の心配も無く、ぐっすり眠ることが出来ました。


 そして愛車の暖機運転も済んでいよいよ出発!
 そしてこきおろしましたGRBWRCです。

 この3代目となるIMPREZAが5ドアになったのは、あくまでもWRCで勝つためにリアのヨーを小さくして戦闘力をアップする目的があったためです。

 市販車のリアの足回りは、刷新されたダブルウィッシュボーンでしたが、WRCの車両は以前のストラットに戻されていました。

 そして事実上これがSWRTの最後の車両となってしまいました。

 また残念ながらWRC参戦中、結局1勝も上げることが出来ませんでした。
 一方こちらのオーナーズミーティングのコーナーのテントでは、ひとつのミーティングが終了して休憩中でした。

 朝方にお会いしたマリオ高野氏の姿もありました。

 どうやらこのオーナーズミーティングでMCを務められていたようです。


 テントの奥にはフォレスターが置かれていました。

 こうしてここに屋外展示されている最新スバル車を、順番にテント内に展示して、それぞれ車種別にミーティングが実施されていました。
 さて、ではちょっとイベントエリアの散策をしてみましょう。


 フードコートに隣接して、このオーナーズミーティングのコーナーがあります。

 最新の富士重工業製の車両の主要ラインナップが全て展示してありました。

 まあ後は推して知るべしで、「ご協力いただきありがとうございます的な、極々当たり前の当たり障りの無いご挨拶でした。


 挨拶が終わって立ち去ろとされた直後に、私はやや大きな声で「吉永さん!」と呼び止めてしまいました。

 いや、ここでお声がけできずにこの後いったいどこでするのかという気持ちもありましたので、思い切って声を上げました。

 そこで私は「出来ましたら今後どこかで吉永さんと、私達#スバコミメンバーがじっくりお話出来るような場を是非設けていただきたいのですが?」と、それをお聞きになって「わかりました。さっそくここにいる小島に善処させます」とスバルネクストストーリー推進室長の小島氏にそのままお伝えして下さいました。

 そしてどちらからお越しになりましたかと聞かれましたので、「三重県です」とお答えしました。

 これでたぶん顔は覚えていただけたのではないかと思います。

 今後小島室長がどのようなお膳立てをして下さるかは判りませんが、なにとぞ善処の理解が国会議員並でないことを期待したいと思います♪

 そして吉永社長が去った後は、#スバコミスタッフのみなさんから、ボランティアスタッフの業務内容についてのお話がありました。

 その後一旦解散するかと思いきや、スグに呼び戻されまして、具体的な業務の時間帯、割り振りや詳細な内容の伝達を行うために、ここから場所をフードコートのある下のエリアの係員待機場所になっている建物の前まで移動しました。

 そこで、それぞれの持ち場と、就業時間、仕事の内容をレクチャーされて解散しました。

 私はフードコートの担当になりました。

 拘束時間は午前9:30から12:30までの3時間で、フードコートのテント下にある食事用のテーブルなどを清潔に保つことと、ゴミ籠の管理とゴミ袋の回収が主なお仕事で、メンバーひとりひとりに雑巾1枚とパンフレット1冊が手渡されました。

 私達午前中業務の班は全部で9名、一般の入場者のみなさんがこのフードコートを目指してやってくるのは、たぶん午後10時以降になるだろうということで、10:05に再度集合することになりました。

 それまでは自由に休憩してよいということでしたので、私は喫煙場所をお聞きしました。

 というのも、予め得ていた情報では、このSKCの敷地内は全て禁煙ということでしたので半ば諦めてはいましたが、よく考えてみればShopや他メーカーなどの業者さんも大勢いらっしゃる中で、察しの良い私は全面禁煙は無いだろうと考えたからです。

 案の定、この係員待機場所になっている建物の裏に喫煙コーナーが設けてありました。

 本当に助かりました。(ラッキー♪)

 …で、早速一服。

 そこで仲良くさせていただいたのが、相川さんという方でした。

 彼も私と同じフードコート担当のボランティアスタッフさんです。

 丸目GDB RA 白のオーナーです。

 時間帯は午後ということでしたが、どうもおタバコがお好きなようで…

 やはり愛煙家同士は気が合うのでしょうかねー。♪

 喫煙コーナーで本当にいろいろとスバルのクルマのお話に花が咲きました。


 そのうちAM10:05が迫ってきましたので、フードコートの業務に取り掛かりました。

 予めおことわりしておきますが、左の一連のフードコートの画像は、全て12:30にボランティアスタッフの業務が全て終わった後に撮影したものですので、どうか誤解の無いようお願いします。

 というのはボランティアスタッフとは云うものの、これはあくまでもお仕事ですので、仕事中には写真撮影はおろかカメラをぶら下げることさえ控えるのは当然のことだと考えて、荷物は貴重品の入ったウエストバッグ以外、建物の中にある#スバコミスタッフ専用の荷物棚に預けて、真面目に業務に取り組んだとご理解いただきたいと思います。


 そして、事前の週間天気予報では、どうもこの日曜日のお天気は期待出来そうに無いとある程度覚悟しておりましたが、本日は朝方こそややどんよりとした曇り空でしたが、お昼頃になるとご覧の通り雲の切れ目に青空さえ見える穏やかなお天気に恵まれました。

 寒かった朝方とはうって変わって、日中は少し汗ばむほど気温も上がっていました。
 さて#スバコミブース前では、何やら動きが…

 そろそろボランティアスタッフのブリーフィングが始まるようです。
 スポーツカー歴代展示と、ゲストのトークショーなどが行われる、ドキドキSUBARU ステージが見えました。
 メールが着信したその日のうちに、添付ファイルを開いてプリントアウトしました。

 いつものようにクリアファイルに入れて準備しておきました。
2016年3月27日

 昨日健ちゃんと三十数年ぶりの再会を果たして、懐かしい思いの消えやらぬまま、夜の内に千葉県佐倉市を出発して、宿泊先のある栃木県佐野市に向かいました。

 もちろん翌日栃木県佐野市のスバル研究実験センター(通称 SKC)で開催されるSUBARU FAN MEETING#スバコミ ボランティアスタッフとして参加するためです。

 事前に予約してあったシティーホテルオークラにチェックインを済ませて、早々にベッドに入りました。


 フロントでお借りしていたモーニングコール代わりの目覚まし時計と家内の携帯電話に起こされて、午前4時に起床しました。

 早速洗面を済ませ荷物まとめてチェックアウトしました。

 とは言っても、まだあたりは未明でフロントには係の姿も無く、昨夜フロントで云われていたとおりにホテルの鍵と目覚まし時計をカウンターに返して、裏口の脇に駐車してある愛車に向かいました。

 クルマのエンジンを掛けると、まだ少し時間に余裕がありましたので、昨夜は取り損ねた愛車やホテルの全景を写真撮影しながら、ホテルの周囲をゆっくり散歩しました。

 しかし如何せん写真撮影をするには、あまりにも暗すぎました。(笑)
 一般来場者の方から場所などの質問があったときは、このパンフレットを参考にご案内を宜しくお願いしますと聞かされました。
 この時私達は改めてお客じゃ無いということを思い知らされた気分でした。
 このベストを着用出来るのは、あくまでも業務中だけで、業務が終了した時点で脱いで下さいと忠告されました。
 なるほどね♪
 そんな中フードコートに来場されたみなさんは、本当にくつろいで昼食を楽しまれていたことは、お世話をさせていただいた私達にとっても嬉しいことでした。


 因みに、フードコート場面の一枚目の画像は、佐野市の名物でもある有名ラーメン店が列ぶコーナーです。
 これを機に、日本でも自称WRC・ラリーファンが急増し(笑)、販売面でもインプレッサ人気はうなぎ登りに高まっていきました。

 そしてブリティシュアメリカンタバコの一銘柄に過ぎなかった「555」のこのタバコのロゴが、この「555」カラーとともに一躍国内でも有名になり、ついには私のようなカーナンバー「555」ブームを生むことになるのです♪

 しかしカーナンバー「555」を付けて走っていると、「555」って何、なんで?とその理由・来歴を聞かれて、全くご存じない一般のみなさんが未だに大勢いらっしゃることを、いかに当時これらの快挙が、一般的にはあまり知られていなかったかという寂しい現実を思い知ることになるのです。(笑)

 何はともあれいい時代でした。
 さて時代はさらに遡りまして、SWRT黄金時代の1台。

 SUBARU WORLD RALLY TEAM の戦闘機の中でも、もっともカッコイイ車両です♪

 あの名車22Bのモデルとなったクルマです。

 この見事なブリスターフェンダーのフォルムは、今でも本当に美しい造形だと思います。

 この1998年は、マニュファクチャラーズ・ドライバーズ両シリーズポイントとも3位に甘んじましたが、それでもシーズン中に3勝しています。(翌年はマニュファクチャラーズポイント2位)

 コリン・マクレー、ピエロ・リアッティが健在で、スポット参戦したドライバーには、懐かしいパトリック・ジルやアリ・バタネンがおり、他にもケネス・エリクソン、ヤルモ・キトレート、若手ではコリンの実弟のアリスター・マクレーやユハ・カンガスがいました。
 ここまで来るのに10分以上掛かりました。


 たぶんこの奥に#スバコミのブースがあるはずです。
 やっとブースのテントがハッキリ判るところまで近づいてきました。
 なるほど、解りました。

 車両証の番号は、こうして車種別の駐車エリアに振り分けるためにあるんだ!


 ボランティアスタッフとは扱いが違うんだー!
 そして、早速お目当てだったLEGACY RS (2号車) 10q世界速度記録達成車と対面しました。

 実車を見るのはこれが初めてです。

 今日改めてこうして振り返っても、スゴイ記録だったと思います。

 当時、それまでの記録はSAAB 9000ターボが保持車でした。

 それを破って、次にこの平均時速223.345qの記録が破られるのは確か2005年のベンツだったと記憶しています。

 なんと15年以上も破られなかったのです!!