「日本会議」という最近特に耳にするようになったこの得体の知れない謎めいた団体について、私なりにいろいろ調べてみました。
その過程で、一冊の著書に注目しました。
それは、著述家 菅野 完(すがの たもつ)
氏が2016年5月1日に発刊した「日本会議の研究」という単行本です。
何故私がこの著書に注目したのかと申しますと、やや遡りますが、昨年暮れの国会参議院に於いて、安倍自公政権による「安保関連法」の強行採決されて以来、特にネット上で改憲の是非についていろいろ取り沙汰されるようになりました。
それらの様々なネット上の議論(私の場合は主にtwitterとFacebookによる情報収集から得た議論ですが)
や、その関連のブログなどの日本会議の情報の中に頻繁に登場する菅野完氏の名前が妙に気になり出しました。
中でも特に安倍自公政権の改憲の危うさについて、様々な情報を発信している、元フリージャーナリストで、現在はIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)
の主催者である岩上 安身氏の記述によく登場しています。
私は参院選の応援を兼ねて、この岩上氏のtwitterやFacebookの投稿をよくシェアしていましたので、これはやはり一度この菅野氏の「日本会議の研究」は読んでおこうと決めて、書店に走りました。
近所の書店には、他の日本会議についての解説本と一緒にこの「日本会議の研究」も並んでいました。
迷わず買い求めました。
消費税込み864円でした。
実は恥ずかしながらこの手の書籍は、長い人生で殆ど購入したことはありませんでした。
それがなんでこの一冊に限って購入したのかと申しますと、失礼ながら菅野氏の経歴に関心を持ったのです。
ウィキペディアによりますと、この方は奈良県生まれですが、被差別部落のご出身だそうで、高校時代に部落民宣言をされて部落解放同盟(以下、解同)
に参加されていたことがあるそうです。
その後解同を離れて、路上生活を営んでいたということもご本人は申しています。
私は元公立中学の教師でしたので、解同の取り組みにはよく付き合わされた関係で、ある程度のことは知っております。
表向きは解放運動=民主主義、人権活動組織ですが、裏では何かと利権絡みの黒い噂も多い団体でした。
まあそれはさておいて、そのような来歴を持つこの著者は、所謂普通の評論家やジャーナリストとは全く違った視点で、物事を見ることが出来るのでは無いかと思ったわけです。
つまり通り一遍の社会通念から見た「日本会議」ではなく、この方固有の視点から見た「日本会議」というのに興味を持ったわけです。
また解同のような人権団体に席をおいていたこともあるので、ことさら人権意識の高い御仁であることが想像出来たからです。
そして「日本会議の研究」を紐解きました。
そこには実に鮮やかに「日本会議」なるものの本質と、その危険な性質が、様々な検証と証拠、証言と事実に基づいて事細かに、理路整然と記されていました。
まず私なりにそれらを紹介したいと思います。
「日本会議」なる呼称は、1997年に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」なる二つの団体が大同団結して誕生したとされています。
では、それ以前の「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」というのは、どういう団体だったのかと申しますと。
まず「日本を守る会」ですが、1974年に設立され、当初は発起人の鎌倉円覚寺貫長・朝比奈宋源をはじめ、明治神宮、浅草寺、臨済宗、佛所御念会教団、生長の家などなど、宗教団体の名前がずらりと並んでいました。(当初は宗教者と文化人の集まりで、政治家や経済人は入会させなかった)
しかし現在も、変わらず多くのこれら宗教団体を傘下に収める「日本会議」は、様々な地方の運動、請願運動や陳情、署名運動、日本各地の主催イベント等への動員や応援、選挙の組織票など「日本会議」の主導するありとあらゆる運動に、その数の力を実に巧妙かつ効果的に活用しています。
それらを証明するひとつの取り組みが、2015年11月10日に「日本会議」が主導して「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が開催した「今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会」と云えるでしょう。
また、改憲のための署名運動にも宗教団体から信徒が動員されたり、全国各地の神社が署名運動の窓口になっていたりしています。
これらの活動は、全て「日本会議」が主導して行われているのが実態です。
そして「日本を守る国民会議」は元号法制化運動に際して1978年に組織された「元号法制化国民会議」を前身として1978年に設立されました。
これら2団体を裏で支えていたのは、「日本会議」の事務局として事実上「日本会議」を主体的に運営している「日本青年協議会」です。
事実日本会議と日本青年協議会の本部は、同じビルの同じ部屋に同居しています。
また、これら2団体の表のリーダーは、かつて「生長の家」をはじめとする宗教票をバックに旧中曽根派を継承し、派閥のドンとして参院に君臨し続け「参院のドン」、「参院の法王」、「村上天皇」などと呼ばれた村上正邦でした。
そしてこの村上正邦こそが、彼らの国民運動の先頭に立って「日本青年協議会」を「大人の世界」(政界)
に紹介した人物です。
また彼らの最も輝かしい功績はなにかと申しますと、既に記載している通り「元号法制化」です。
では事実上の「日本会議」、「日本青年協議会」とはどんな団体でしょうか。
それは、これも上述に出てくる「生長の家」との関係を知らずして語ることは出来ないと思います。
ただし、現在の「生長の家」(谷口雅宣)は、これらの活動とは一切関わりを持っていません。
どころか、「日本青年協議会」の一連の活動を一貫して批判しています。
「日本青年協議会」の姿を浮き彫りにするには、現会長椛島 有三(かばしま ゆうぞう)
という人物の過去を語る必要があります。(「日本会議」現事務総長兼任)
この椛島 有三という人は元「生長の家」信者で、1966年に結成された「生長の家」信者の子弟からなる「生長の家学生会全国総連合」(生学連)
出身です。
当時はちょうど三派全学連が羽田闘争を開始したり、後年「70年安保」や「全共闘運動」などと呼ばれる左翼学生運動の下地が整いだした頃で、このころの「生長の家」創始者・谷口雅春は、強烈な反共意識と、折から勃興する創価学会への警戒心にもとづいて、積極的な社会運動を60年安保のころから展開していました。
そしてこの保守運動は、当時盛んであった学生運動の分野にも及んでいくわけですが、その役割を担ったのが「生長の家学生会全国総連合」です。
当時は日本全国の大学の多くが、左翼学生運動によって学生自治会が占拠されたりキャンパスがバリケードで封鎖されたりしていました。
そんな中、椛島有三が在学していた長崎大学でも、日本社会主義青年同盟を中心とする左翼学生らによって、キャンパスが占拠され授業中断を余儀なくされていました。
それに対抗した椛島ら右翼学生は、大学紛争の渦中から長崎大学学園正常化を成功させ、「長崎大学学生協議会」の議長として一躍脚光を浴びることになりました。
しかしその後彼らの活動は、「九州学生自治連絡協議会」、その運動手法は「九州学協方式」として広がり、その成功と実績から「生長の家学生会」、「原理研」、「日学同」などの民族派学生セクトが大同団結し、「民族派の全学連」を目指した結果、「全国学生自治連絡協議会」(全国学協)
が1969年に結成されるのですが、全共闘運動を代表とする左翼学生運動は、すでに東大安田講堂事件や日大闘争を境に下火になりつつあり、当初の左翼学生運動に対抗するという目標を失ってしまいました。
要するにこの椛島有三という人物は、当時の「生長の家」右翼学生運動の中心人物の一人だったわけです。
しかし長崎大学を卒業していなかった椛島有三は、当時「生長の家」は大卒しか職員を採用していなかったので、「生長の家」に就職することが叶わずに「日本青年協議会」を結成することになりました。
そしてその後「日本青年協議会」は、三島事件裁判闘争の結果「全国学生自治連絡協議会」と対立し袂を分かつことになりました。
その結果「日本青年協議会」と椛島有三は、草の根の右翼運動家としての道を歩むことになるのですが、実は「生長の家」政治運動からも椛島の運動を積極的に支援していた人物がいました。
その人物とは、かつて長崎大学学園正常化運動を椛島とともに戦い、その後長崎大学を無事に卒業して、後に「生長の家政治局政治部長」にまで昇進した椛島より6歳年上の安東巌です。
この安東巌によって、撤退以前の「生長の家」政治運動は、政界内外で大規模に展開され、玉置和郎、村上正邦という当時の自民党総裁選にも影響を及ぼす有力な議員を擁するまでに至りました。
しかしこの安東巌という人は、どうやら「生長の家」在籍中も謎(類い希なる、策士、運動家、オルガナイザー、名演説家、神憑っている)
の多い人物で現在は何故かその所在すらわかりません。
ただし菅野氏の著書の中で、当時を知る北関東の証言者の話によれば、少なくとも元号が平成に変わるころまでは、毎月安東の居所で椛島、伊藤、百地、高橋がミーティングを行っていたとあります。
そこで私は、菅野氏が著書で安東巌を検証した様々な評価から察するところ、どうやら当時の「生長の家」では、ポスト谷口雅春的な存在であったということが読み取れました。
そして菅野氏は著書の中で、
「このように見ると、これまで本書が追いかけてきた「日本会議」界隈は安倍政権への支援・協力という「上への工作」のみならず、言論界での行動や幼稚園経営(塚本幼稚園)
などを通じた市民社会への浸透という「下への工作」まで、実に手広くやっていることが浮き彫りになる。また、この「右傾化路線」が全て「70年代の生長の家学生運動」に行き着くこともわかる。と同時に、実に多数の人々が多種多様なチャンネルを通じて、数十年の長きにわたり、彼らの「悲願」ともいうべき「憲法改正」に向かって運動を続けてこられたことが、不思議に思えてくる」
と、した上でこの安東巌が、「谷口雅春なきあとも、彼らの情熱を支え続ける存在」、「運動全体を見渡す立場にいる人物」と菅野氏は結論づけています。
私もこの安東巌という人物が、谷口雅春にもっとも近い、谷口雅春の教えを継ぐ「生長の家」のもう一人のカリスマなのでは無いかと考えています。
一説によるとこの安東巌は、現在もリベラル・エコロジー教団となった「生長の家」にとどまり、一介の教化部長として自らの難病克服体験に基づく宗教的な講話を行い、信者から圧倒的な支持を受けているらしいです。
どうやら現在は公開の場で政治的な話はしていないようです。
因みに上述した村上正邦は、1974年の参議院選挙に「生長の家」の組織候補として自民党から初出馬し落選しています。(現在は「日本会議」と距離を置いている)
また、現在自民党参議院議員で安倍首相の補佐官をしている衛藤晟一も、大分大学在学中に「九州学生自治体連絡協議会」を結成した人物で、「日本青年協議会」副代表という肩書きを持っています。
その後も「生長の家学生運動」は継続していたのですが、1983年10月に突然「生長の家」は「生長の家政治連合」ならびに「生長の家政治連合地方議員連盟」の活動を停止します。
そして今日に至るまで「生長の家」教団は、政治運動から完全に撤退しています。
また、前述した「生長の家」学生運動、「生長の家」政治運動に関わった人々は、全員現「生長の家」教団とは全く関わりがありません。
こうして見てきますと当時の「生長の家」は、創始者谷口雅春の教えを忠実に実行にうつすべく活動していたように思います。
しかし、現在の「生長の家」(谷口雅宣/3代目教祖、谷口雅春の孫)
は完全にそれとは距離を置いていて、むしろ彼らを批判さえしていることから、当時の「谷口雅春の教え」に忠実だった信者たちは、逆に本家に対してむしろ自分たちの方が谷口雅春の教えを守る「生長の家」の本流であると考えているようです。
つまりそれを菅野氏は著書の中で「生長の家原理主義」とも言っています。
当時の「生長の家」信者で、今日の「日本青年協議会」や安倍政権の影にちらつく「日本会議」界隈の要注意人物には、前述した他にも多くの「生長の家原理主義」者がいます。
その一人が「日本政策研究センター」(1984年設立)
代表の伊藤哲夫です。
この伊藤哲夫も元「生長の家」中央教育宣伝部長という肩書きが、1976年に刊行された、当時「生長の家」が出版した月刊の機関誌「理想世界」に紹介されています。
そしてこの「日本政策研究センター」というなにやら怪しげな研究所を立ち上げた1984年は、「生長の家」が政治運動から撤退した翌年です。
そして現在この伊藤哲夫は、安倍首相の筆頭ブレーンと言われるほどの存在になっています。
また「日本政策研究センター」は、「とりわけ『国家の精神的基礎』ということに焦点をあてた研究を行い、そこから政策提言を、というのがその頃のわれわれが描いた当面の目標であった」と伊藤本人が同センター機関誌『明日への選択』2004年5月号で述懐しているように、現在は「歴史認識」「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦」「反ジェンダーフリー」の4点においての保守革命路線を進んでいます。
また、2015年8月2日に都内某所で開催された日本政策研究センター主催の「第4回『明日への選択』首都圏セミナー」では、憲法改正アジェンダとして以下の3つのポイントが示されたそうです。
1.緊急事態条項の追加
2.家族保護条項の追加(憲法13条の「すべての国民は、個人として尊重される」文言と、憲法24条の「個人の尊厳」の文言を削除し、新たに「家族保護条項」を追加するというもの)
3.自衛隊の国軍化
これだけ書けば何かピンときませんか?
そうです、当に安倍政権はこれらの提言どおりに各種政策を推し進めていることが判ると思います。
そして、これらの「日本会議」と称する集団の精神的支柱ともなっているのは、やはり「生長の家」創始者谷口雅春の教えです。
この教えの中には、「明治憲法の復元」も含まれています。(憲法改正などでは無い)
因みに、これら谷口雅春の教えの根本となる「生長の家」の経典である『生命の實相』の戦前の出版本を、嬉々として取り上げながら講演する現稲田朋美自民党政調会長の姿もネット動画で流れています。
稲田朋美が「生長の家」信者であるかどうかはこの際どうでもよいことですが、このように谷口雅春の教えを忠実に実行している元「生長の家」信者ら(菅野氏は「一群の人々」と著書で呼んでいる)
は、桜井誠が創設した「在特会」や「チャンネル桜」、ヘイトデモの西村修平など、いわゆる「行動する保守」界隈の人物達とも密接な人間関係を築いていることも菅野氏は著書の中で指摘しています。
つまり安倍晋三と「日本会議」の関わりは、決して偶然の産物などでは無いということはハッキリしていると思います。
それこそ時間を掛けて彼ら「一群の人々」は、虎視眈々と自分たちの信じる極右思想を確実に実行してくれそうな政治家(傀儡)を待っていたのです。
それがとうとう安倍というこの上ない傀儡を見つけて嬉々としているのです。
以上が「日本会議の研究」(菅野完著)を読んで私なりに簡単にまとめ上げた「日本会議」の姿です。
もっとも私ごときが書いたこの程度の記述を読まれて「日本会議」のすべてが判った気になってもらっては困ります。
より深く正確に知りたければ、やはり菅野完氏の「日本会議の研究」を一読されることを是非お勧めします。
実際に「日本会議」を一言で説明するのは実に困難です。
菅野氏は本著書の中で、彼らを「極めてファナティック(狂信的・熱狂的)
な人々」、「特殊すぎる思想で政治運動する人々」と規定しています。
また、著書の第二章 "歴史" の冒頭で、「日本会議には多くの宗教団体が参加している。 しかしそれは決して「カルトによる支配」でも「宗教右翼の陰謀」でもない。 日本会議について知るためには、そうした幼稚で拙速な陰謀論的総括と誤解を排す必要がある。」
と菅野氏が記述しています。
私も同意見です。
私がここに書いたのは、彼の著書のほんの一部分でしかありません。
しかしたったこれだけの内容を見ても、「日本会議」というものが如何に今の日本にとって危険な存在であるかということが、少しでもお判り頂けるのではないかと思って、文才も無いのに恥ずかしげも無くペンを取ったしだいです。(笑)
また、お時間のある方はコチラも是非ご覧いただけるとありがたいです。
『日本会議とは何か』著者・上杉聰インタビュー
「日本会議はものすごい“後ろめたさ”を抱えている」先駆的研究者・上杉聰が語る日本会議の最大の問題とは?
ここからは私見です。
一宗教者の極右的思想に心酔する国家主義者の集団が、日本国の指導者に政策を提言するなどということは、元より政教分離の原則に反しています。
また日本会議の補完勢力と目される神社本庁、神道政治連盟ならびに神道政治連盟国会議員懇談会は、思想的背景がほとんど同質のものであると考えられることから、これらの動きにも政教分離の立場から引き続いて注視していく必要があると思います。
そして、その思想的背景にあるナショナリズム的発想は、近代民主主義と自由主義の立場を堅持している日本国には、全く以て相応しくありません。
要するに日本国憲法の定めるところの「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」の理念に反する行いだと思います。
また一内閣がこのような改憲を提言することについても、明らかに憲法違反であると私は思います。
さらには、「日本会議」の主導する「日本会議国会議員懇談会」に所属する国会議員が、与野党衆参両院合わせて289名を数える今日(2014年4月1日現在)に至っては、国政、強いては日本の将来にとって誠に由々しき事態であることは明白です。
そしてかれら「日本会議」が標榜する戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)になど、たとえどのような修正や解釈を加えたところで、現行憲法の目指すところの理想にはほど遠く及ばないものと確信しています。
故に、改憲に向けて突っ走る安倍政権の暴走は、立憲主義を否定する暴挙であり、国家に対する反逆に等しい行為であって、これを私は絶体に許すわけにはいきません!
アールエーアール鈴鹿 こと 田中 博基 2016年7月20日