2020年6月2日
私、アールエーアール鈴鹿の40年以上に渉る長い愛煙歴
(途中半年間の禁煙期間あり)の中で、どうしてもみなさんにお伝えしておきたいこ
とがあります。
昨今の愛煙家を名乗るものを取り巻く環境は、ますます厳しさの一途を辿っておりまして、価格もほとんどが税金といってもいいほど
の価格であるにも関わらずその異常な高騰ぶりも手伝って、急激に肩身の狭い思いが増している訳であります。
年金暮らしの身には財政的にも誠に厳しいものがございます。
消費税
10%もなかなか大変ではございますがこのたばこという商品は、国たばこ税、地方たばこ税、たばこ特別税、消費税となんと
4種類もの税金が課せられており、最も税負担率の高い
(価格の約63%)商品なのです。
これはほとんど虐めですね。笑
もちろん現代では、世間からは完全にたばこ
(吸う習慣も含めて)は害悪のひとつと認定されまして、その生息範囲も急激に狭められてき
ていることは、みなさん周知の事実であります。
例えば私が人生で一番長く過ごした、中学校教員の代表的な職場である職員室を取り上げますと、
27歳で初任
(遅い/笑)者として最初
に赴任した中学校の職員室は、まだ職員室の自分の席で堂々とタバコが吸えました。
その7年後の次の任地では職員室の隣の印刷室でしか吸えなくなり、その後校舎から完全に追い出され、最後は学校敷地内が全て
禁煙になりました。
愛煙家にとっては、まさに虐待とも云えるような実に哀れな扱いがもはや当たり前なのです。
一方外に目を向ければ、例えば地元の自家用車以外の移動の足としてよく利用していた近鉄電車も、私が学生だったころは車両内も
駅のホームもコンコースもその区別無くどこでも自由にタバコが吸えましたが、今となってはそれは遠い夢物語です。笑
都会では公共と名の付く場所はことごとく禁煙になり、人気の少ない屋外でしかタバコは吸えなくなりました。
私にとってはもはや自由になる喫煙エリアといえば、我が家とその敷地内だけだと思っています。
ですからただでさえ出不精な私は、自ずと外出することがますます少なくなりました。笑
ところが愛車という外出中でも唯一の喫煙エリアとも云えるはずの空間のことになると話は全然違います。
若い頃はダッシュボードにも市販の灰皿をくっつけまして、運転中も同乗者が居ようとそれこそおかまいなしに吸っておりました。
ですから当然のことながら、生徒や同僚や知人を同乗させたときはよく、「車内がタバコ臭い」と言われました。
笑
しかし愛車だけは特別だったのか、丁度声帯ポリープの切除手術をしたあたりから車内での喫煙は一切やらなくなりました。
当然のことながらエアコンのフィルターの汚れは劇的に少なくなりました。
それでも運転中にタバコを吸いたくなることは今でもあります。
そういうときは大体長距離ドライブの高速道路での運転中がほとんどですから、必ず休憩を兼ねて
SAに立ち寄り喫煙しています。
愛煙家ではありますが、そういうわけで車内と運転中だけは特別なのでしょうね。
つまりはそれ以上の愛車家であるということです。笑
幸い我が家では理解ある妻のお陰
(笑)で、思う存分タバコを吸うことが出来ます。
ただ例え
1㎜タバコであっても、積年のヤニはどうしようもなく壁などに付着します。
これまでに1回だけですが、居間の壁紙を全面貼り替えました。
また妻に対する副流煙の問題もあります。
「私が肺炎や肺がんになったら訴えたるでな!」などと冗談では無く私に悪態をつくこともあります。
まぁそれはともかくとしましても、愛煙家の私が本当に何の斟酌もなくタバコが吸えるのは、妻のお陰で我が家だけと云うことです。笑
しかしこのごろはそのタバコも、最盛期のころと比べれば半分くらいの量になりました。
それでも月に1万数千円はタバコ代で消えていくわけです。
これが消費税も無しで、各タバコ税ももっと安くなれば、少なくとも同じ金額で倍の量のタバコが買えるんです。
言い替えれば、つまり私たち愛煙家は吸わない人々よりも確実に高額納税者であるという証なのです。
ところがその高額納税者に対して行政によるサービスなどはまったくありません。
それは吸うヤツが悪いといえばそれまでのことなのですが、現にタバコを嗜好する人間はこの世にまだまだたくさんいるのです。
ですから、このような現在に於いても様々な事業者や各種イベント、会場運営者の中には、そういうたばこを止められない方々の為
に配慮してくださる人々が少なからず居らっしゃることも事実です。
要は本来であればタバコを愛好する人間が、マナーと副流煙の問題など嫌煙者の方々に対する適切な配慮さえ励行していれば何
の問題もありません。
健康の害については、それこそ私は自己責任だと思っており、正直なところタバコの害というのは、本人にとっては有害でもなんでも
なく、単にたばこと個人の相性ないしは適性の問題だけだと思っています。
かつて愛煙家にとっては天国のようだった時代に傍若無人の限りを尽くしたツケが、特大のブーメランになったと諦めるしかないので
しょうか!笑
以上ここまでが愛煙家の愚痴でした。
さてここからは私、アールエーアール鈴鹿がタバコの文化についてお話しようと思います。
一言でタバコの文化と云いましても、本当に幅広く様々な文化の多岐にわたって関わっておりますので、私は特に自分にとって身近な
ところからたばこに纏わる文化について思うところを語ってみようと思います。
まず始めに、タバコというと誰でもスグに思いつく言葉として、「一服」というのがありますね。
「一服する」、「ちょっと一服」など、一服というのはよく使われる日常用語ですが、辞書などを引くと、語源としては「茶やタバコを一回
やって(飲んで、吸って)休憩する」という意味なんだそうです。
私はタバコを吸うからかもしれませんが、「一服する」という言葉からイメージするのは、「茶を一服」よりも「タバコを一服」しかない訳
ですが、そこで試しに妻に「一服」という言葉から連想するものは?という質問をいきなり投げかけてみました。
するとやはり「タバコ」という答えが返って参りました。
事ほどさように、やはり一般的には「一服」という言葉は「タバコを吸う」の意味から、休憩の代名詞のように使われてきたのだと考え
るのが自然ではないでしょうか。
まさにタバコにまつわる言葉の文化だと思います。
そんな今日でも良く使われる「一服」も、今後タバコがこの世から消滅してしまえば、死語となってしまうのでしょうか。
笑い話などでは無くなんとも寂しい話だとは思いませんか?
また実際にタバコを吸うと気持ちが落ち着くのは、これは医学的にも立証されている科学的な事実でもあるわけですから。
つまりは人とタバコの昔からの切っても切れないその関係性の裏には、精神安定剤的要素も充分にあったというわけです。
そういえば、「憩」なんてタバコの銘柄もありましたね。
そして、アールエーアール鈴鹿にとって決して忘れることが出来ない人とタバコの関係として、
F1などに代表されるモータースポーツ
におけるタバコ銘柄の広告塔としての役割とその華やかなカラーリングがあります。
これも立派な文化だと思います。
モータースポーツにおいては
F1グランプリで、
1968年のモナコ
GPにおいてチーム・ロータスが、従来からのイギリスのナショナル
カラーであるブリティッシュグリーンを脱ぎ捨てて、インペリアル・タバコの
GOLD LEAF銘柄の赤、金、白の各色を用いたブランドを
つけて登場したのが始まりとされています。
それ以来
F1ではタバコ銘柄のカラーリングが一世を風靡し、
JPSロータスや、マクラーレンホンダのマールボロカラーやキャメルカラー
など数々の名車を生み出し、レースシーンに鮮烈な印象を残しました。
これは上と同じマールボロカラーですが、
F1ではなく米インディーカーです。
そしてもちろん
F1界だけでなくラリー界の頂点
WRCにおいても、タバコ銘柄はご存じ
SUBARUの
555カラーだけで無く、様々な名車
たちを華やかに演出してくれました。
そしてこのほかにもモーターサイクルレースの世界で勇名を馳せたラッキーストライクなどの銘柄がありました。
こうしてタバコ銘柄は、当時の華々しい歴代レースカーたちを演出する上でもまさに欠かすことの出来ないアイテムでした。
しかし、
1976年にドイツが自動車レースにおけるたばこ広告を禁止する流れを開始し、それが徐々に全ヨーロッパ、そして世界へと
広がり、折からの禁煙ブームともあいまってやがてタバコメーカーはモータースポーツの世界から撤退していきました。
それはモータースポーツという世界的なひとつの文化を彩ってきたたばこ文化の終焉を意味していました。
いまではたばこに替わってモータースポーツの世界を華やかにしているのは、どうやらスポーツ飲料やファッションアパレル関係、
IT
関係の企業たちのようです。
それらの現象について私から言うことは特に何もありませんが、ひとりの愛煙家としては何故か自分自身も時代の流れに取り残され
たような一抹の寂しさは感じます。
ちょっと感傷的になってしまいましたね。笑
では最後に私の愛車のナンバーやこのページでも紹介しました、
SUBARU WRC グループ
A車両のカラーリングの由来ともなって
います、私が所有しているあの
BAT (ブリティッシュアメリカンタバコ社)の銘柄ステイトエクスプレス
555タバコの空き箱を紹介しまして
このページを締めくくりたいと思います。
どちらも頂き物です。
左は
GP COLLECTION社長 服部 浩 氏から戴きました。
右はスバル仲間のプレネス こと 谷さんから東南アジア旅行のお土産ということで戴きました。
ありがとうございました。