各画像をクリックすると、その場所が更地化された画像をご覧になれます。
左の家屋の正面側です。
この家屋は、古くは牛乳の処理場として建てら
れたそ
うです。
総檜造りで、当時の日本家屋としてはかなり
高床で、住居というよりはどちらか
というと学校の校舎に近い建築物です。
軒も高くなかなか堂々とした建物で、亡き
父がヴァイオリン教師をしていたころは、
実際に
教室
として使用していました。
その後の増改築で、中学高校時代は
もっぱら私達の
勉
強部屋
でした。
また、当然カーポートも撤去します
ので、当面の間愛車は家内の実家の
車庫に保管
してい
ます。
右側
の家屋が、長く我が家の中心的な
居間
だった
ところで
す。
後に左の
家屋と合体して、居間の奧を
広い廊下
と
四畳半の
居間
、
ダイニ
ングキ
ッ
チン
に改装し、上の画像に
ある
バスルーム、
洗面
所、トイレを増築し
ました。
父亡き後は、3年
前までここで
母が
一人
暮らしを
して
いました。
増改築した後、長い間
勝手口
だったのが、
土間
の奧に見
える扉です。
この
土間を利用
して犬を飼ってきましたが
、
5年
前に現在の「太郎」を飼いだしてからペットサークルを
自作で追加しました。
当然これも撤去されますので、現在「太郎」は
コチラ
に
移転しています。
通りに面して、一番表側にあった家屋です。
昔から、玄関と来客用の
応接間
があった建物ですが、増改築の際、土間造りの玄関から厨房に通じる建物は取り壊されて、
応接間
のところから現在の
玄関
と、
洗面所
、
トイレ
を増築しています。
集会所的な24畳ほどの
大部屋
の奥に、
六畳の座敷が2部屋
あり、そのうちの一つは増改築する以前から
仏間
で、今日までそのまま利用してきました。
表通りから望んだ旧我が家の敷地の入り口です。
そして、4月21日現在の更地になった様子は、この画像をクリックして下さい。
それから1ヶ月後の5月21日、甥夫婦の住居の建前は
ココ
をクリックして下さい。
6月
17日、甥夫婦の
住居
はほぼ完成しました。
この家屋の張り出した部分は、
風呂場
と
洗面
所
、
トイレ
になってまして、後から増築したものです
。
2012年4月9日から、私が生まれ育った旧宅の解体工事が始まりました。
ここに掲載した8枚の画像は、その解体される以前の4棟それぞれの建物の全景です。
3月30日に撮影したもので、家屋の中の家具や荷物の整理、移動、廃棄などの作業が順次行われています。
3月中旬から作業に取り掛かりましたが、想像以上に大変でした。
実際、家と市の焼却場や廃棄物処理場を、知人にお借りした軽トラックで何度往復したか分りません。
また、捨てられないモノも結構多く、保管場所にさせていただいた家内の実家との間も、数えきれ無いほど往復しました。
これらの画像は、それらの荷物整理にメドが立たず、いっこうに出口が見えてこないころの当時の様子と、最後に旧宅の画像を記録として残そうと考え撮影しています。
そしてこの4棟を取り壊した跡地の表に、甥夫婦が住居を新築する計画です。
またその奧の空き地には、
My Garage
を新築する予定です。
当然のことながらこの4棟の建物は、ここ3年程は空き家で物置と化してました。
現在の私の住居は、この敷地の一番奥に建っています。
このように表通りに面して空き家が4棟もあると、近頃の物騒な世相を思えば、常に防犯上の心配がついて回り、しいては火災や放火など地域的な防災上の問題にもなりかねませんでした。
そこで、土地を有効に活用することも考慮した結果、丁度マイホームの新築を希望していた甥夫婦に、土地を提供するのが一番良い解決方法であると考えました。
こうして、いよいよ念願の
My Garage
の夢が、晴れてここに実現することになりました。
ここに紹介する4棟の家屋は全て増改築されて
はいますが、その土台や
柱は
大正時代に建てられた
ものが
そのまま残っています。
この家屋は4棟の中では一番奥の建物
でもともとは牛舎でしたが、後年
物置
と
住居
に改築しました。
近頃ではもっぱら建物全体が
倉庫
兼
作業場
と化していました。
そして、この建物の跡地に
My Garage
を新築する予定です。